何で覚えられないの?
ADHDの「整理整頓・掃除」大人への階段
これまでにも書いた通り、小学生時代は机に腐った緑色のパンが2、3個突っ込まれているひどさで、高校でできた友達がほぼ毎日かばんの中を整頓してくれるというような、整理整頓できなさぐあい。。。不潔でもありました。
中学生になるまで顔も洗わないし、歯磨きの時間の短さといったら・・・。
服もあちこちよく汚れてました。
潔癖症の母に嫌悪する気持ちもあったと思います。
(多少の菌が無いとアレルギーになるでとか(まあ、私アレルギー体質ですが)はしを一瞬机に置いたことでどれだけの菌がつくというのか!)
など、色々言い訳つけて反発的に汚いなんてこともありました。
そんな私が登ってきた、「整理整頓・掃除」に関する大人への階段について書いてみたいと思います。
大学院生時代、一人暮らしを始めた頃
初、一人暮らしをした寮はとにかく極小コンパクトな部屋で、出ている床の面積がかなりちいさいこともあって掃除機は導入せず、クイックルワイパーのみで済ませました。
・・・嘘です。それは後付けの言い訳で、「掃除機」が猛烈に嫌いなアイテムだったのです。あやうくブログにまで嘘つくところでしたね。。。
私「掃除機」嫌いなんです。あのコードの邪魔臭さ!!でかいし!!
無理に引っ張ったらひっくり返ったりしてね・・・
コードレスという選択肢もないではありませんが、クイックルの手軽さにはかなうまいと思っておりましたので、なんとかして掃除機だけは避けたかった。今でも掃除機は大嫌いです。
・・・話を元に戻します。
当時は水拭きの意味が見出せなかったので、床を水拭きしたことはありません。
棚等の拭き掃除をしたのも、多分、三年ぐらい住んで、2〜3回レベル。。。
窓拭きなんて多分したことないんじゃないかな・・・
ラッキーなことに風呂、洗濯機は共用だったので、自分で掃除する必要がなく、私の精神的負担はかなり軽かったです。
寮だったので、友達が来る前なんかは、きっちり片付けて案外汚いなんて言われたことはありませんでした。
部屋が自分の手の届く大きさなこともラッキーでした。しかしそれでも、ちょっと油断するとすぐぐっちゃんぐっちゃんのエライことになっていました。
洗濯物、食器洗いをちょっと怠るとすぐえらいことになりますね。。。
一度だけ友達に見られるハプニングがあり、「これはやばいでしょ」と言われた恥ずかしい経験がありましたね・・・
ワンルームの家を借りて・・・
人生に迷う感じで博士課程を中退し、上京して、激安の薄暗いワンルームの部屋を借りました。
激務すぎて、朝でて深夜1:00とか2:00とかに帰ってくる生活なので、その部屋ではほとんど料理をしたことはありません。ほぼ外食です。
寮とは違って自分専用の洗濯機(もらいもの)とお風呂(ユニットバス)ができましたが「風呂洗い」はやはりかなり面倒で、毎日は洗えませんでした。。。
2、3日に一度下手したら週に1度とか。
洗濯機内部の漂白をしたり、外側を拭いたりしたことはなく、引っ越しの時にあまりの汚さに絶句されました。つるっとした垂直面でも埃って積もって汚れるもんだと初めて知りました。やたら拭き掃除をしていた母をバカにしていてごめん。。。大事でした。
この部屋で最悪だったのがすごくジメジメした部屋で、深夜帰宅ばかりだったので、ほとんど窓を開けることがなく、クローゼットの中の服やカバンがほとんどカビてしまったことです。洗濯してもしても・・・カビ臭は強烈に残ります。かなりの服をボツにしてしまったので半トラウマです。カビ。
この時の教訓で私、カビだけは嫌で、次住むのは絶対に日当たり風通しのいい部屋がいい!!と思いながら激務激務で、部屋への愛着なんてまるで出来ないまま引っ越しすることになりました。
そういえば引っ越し前、当時お付き合いし始めた彼氏(今の旦那)が、引っ越し前に一度部屋に遊びに来てくれたことがありました。
「どーぞどーぞくつろいで♡」と言いましたが、綿ぼこり舞うその床を見て
「あ、僕汚すぎて無理・・・」といって掃除をし始めました。。。(彼は綺麗好き)
女子として最悪のワンシーンではないでしょうか・・・
2度目のワンルームアパート
縁があって勤めていたベンチャーをやめ、大学で仕事をするようになり、引っ越しする必要がありました。
カビ部屋の教訓を活かし、明るく風通しが良い、綺麗な築浅の物件(また安アパートでしたが)に引っ越しました。角部屋です。
仕事も基本定時あがりになり、部屋にいる時間も増え、積極的に窓を開けて換気をしました。
休日にはシーツやカーテンを洗濯することも増えました。
週2回ぐらいしかやりませんでしたが案外洗濯は好きでしたね。週末にわんさか洗濯することも多かったです。やっぱり激務すぎると最低限のこともできません。
しかし相変わらずトイレ掃除や風呂掃除は面倒で、
トイレ掃除も2週間に1度ぐらい?風呂は3日に1回ぐらい?
床掃除は相変わらず掃除機はなしでしたが、クイックルワイパーの濡れ拭きタイプを利用するようにはなりました。
部屋が明るいので、掃除へのモチベーションも上がりました。
料理もよくするようになりました。(寮にいた頃は毎日してたのが復活!)
とはいえ、いらないものをとりあえず押し込んだロフトは完全物置で開かずの間・・・
友達がくる直前などは下からぽいぽい物を投げ込んで、、、このロフトを除けばぱっと見清潔感ある雰囲気の部屋になっていたかと思います。
彼氏がやってきても掃除をはじめることはありませんでした。
でも、電子レンジの中を拭いたり、洗濯機の外側を拭いたり・・そんなことはやっぱりほぼやっていませんでしたね。
結婚して2LDKマンションへお引っ越し。
結婚することになり、大阪へ戻りました。
例の教訓で、明るく風通しの良い角部屋!!
しかもリビングの広いお部屋!テンションあがりますね。。(エレベーターの無い4Fということさえ除けば。)
しかしその一年は、引越し&新しい職場に移り、結婚式準備、妊娠、さらには妊娠中に運転免許を取り、出産・・・と激動の一年でしたので、時間がなくて整理整頓がなかなか進みませんでした。
そもそも二人分の一人暮らし用の家具や家電が大集結しているので、ある程度生活できる程度家具や家電を整理して捨てたり、大きなものに買い替えたり以外、
細かなお互いの小物類やら紙物、2人分の膨大な本etcが全然分類できぬままでした。
新生児がやってきてからはそれこそヒーヒーで、さらに整理はすすみませんでした。。。
リビングも微妙に雑然としていましたが、やはり一つの部屋が物置件洗濯物部屋となり・・・人にお見せできない感じでした。
夫婦ともに仕事をしていたので、掃除は分担していました。
基本的に掃除は週一。土曜日などに、トイレや風呂も含めて一気に。
洗濯も子どもが生まれるまでは週1〜2でしたが、子どもができてからは毎日に。
掃除洗濯のリズムが生まれて、自分としては進歩が感じられました。
洗濯槽を時々洗浄したりもしてね!
さて、結婚すると、親や親戚、友達など、来客が増えます。
孫の面倒を見に、義父母や両親が来てくれることもあります。
ある程度親しい仲の人は
遊びに来ると頼まずとも、大抵あちこち”掃除”をしていってくれました・・・
ガスコンロとか、キッチンの水回り、三角コーナー、
洗面所の排水溝に髪の毛が詰まっているのを掃除してくれたり、
掃除機をあててくれたり・・・(この掃除機は旦那さんの所有物。コード式。私はコードレスの掃除機じゃないかぎり絶対やらないと宣言していましたが、コードレスは吸引力が低いとの理由で却下されていました。。。)
拭き掃除とかも・・・みなさん、ほんとすみません。
義母なんて、普通はこんな嫁、相当がっかりされそうなもんですが、めちゃくちゃ優しい人で、、、助かりました。本当感謝です。
私の母は”不潔な”私が洗った食器を使いたがらず、私が作った料理なんて、絶対食べたく無いという風でしたけどね・・・
さて、子どもを抱っこしながらスーパーの袋を下げてマンションの4Fを上がり下りするので私は膝を痛め、急遽引っ越すことになりました。ADHD、エニアグラムタイプ7の私ですから、思い立ったら早いのです。
結婚後2回目の賃貸マンション
ノリで不動産屋に行って、
とにかくリビングの広い、職場に近いマンション、エレベーター付き(そして、明るく風通しの良い)を探しました。
ちょっと?かなり?家賃が高かったのですが、人気のエリアの希望に叶う物件が見つかり即決しました。(この頃給料が良かったのでね・・・)
本当はもうちょっとリビングが広い方が良かったのですが、賃貸でそれほど広いリビングの部屋ってなかなか無いんですよね。
この時はインテリア雑誌などを買って研究しました。
おしゃれなカウチ付きソファなんかかっちゃって。
引っ越しを機に断捨離をしましたが、いまいち夫が協力的でないというか、引っ越しの「ここはあなた担当ね」、とお願いした部分が”あるものをそのままダンボールに詰める”という形だったので、私としては結構不満だったのですが、まだ新婚なんでね・・・突っ込みを入れられず。
子どもが小さいこともあって、結局新居にもガラクタを大量に持ち込んでしまうことに・・・3LDKのこの部屋も結局一部屋が物置小屋みたいに・・・
とはいえ前の家よりはずいぶんすっきり片付き、
リビングぐらいは人からきれいだね、おしゃれだね、と言われるように。
まあ、でも親や親戚が来てくれた時には、やっぱり(頼まなくても)掃除機かけたり、トイレ掃除してもらったり、水回り掃除してくれたり・・
小さな子を持ちながら仕事していたので、仕方ないと思ってくれていたんだとは思いますが。
それでも徐々に水拭きの重要性を理解してきて、来客前には水拭きもきちんとするようになりました。進歩です!!
でも掃除機は断固としてやりませんでした。
コードレスがダメと言われたので、ルンバを買ってやりましたが床にものがあると可動できないので、いまいち使いこなせず・・・
結婚してからは年末には大掃除もちゃんとするし、年に一度は窓拭きも・・・ベランダ掃除も年2回ぐらいやりましたよ。キッチンのシンクを洗う習慣もつきました。
進歩です!!
でも、同じ職場(みんなフルタイム)の皆さんによると。。。
Aさん(小さい子がいる)が「基本毎日拭き掃除してる」だとか!
風呂掃除の頻度について喋っていた時に
Bさんは 「お風呂は毎日床まで掃除している。毎日してるとほとんど汚れてないから大変じゃないよ」とか
Cさんの(小さい子がいる) 「綺麗じゃ無いと気が済まないから夜中2時頃まで起きて徹底的に片付けたりする」とか
そんな話を聞くと衝撃を受けずには入られません。。。女子スタンダードはこうなの??
あ、そうそう、職場といえば
私のデスクはとっちらかっており、左右に書類の山ができます。(PCのデスクトップは比較的綺麗だと思います。)他のみんなのデスクは綺麗ですよ。。
コーヒーの飲みかけを残したまま帰りますので、誰か気の利く女子力高い先輩が洗っておいてくれたり・・・でも仕事の能率はかなり良い方だと思います。(集中している時間は短いけど)
それからこの家で一番私が頑張ったことは
無限増殖する子どものおもちゃをなんとかするべく、意を決して全部リスト化。
それらを分類して入れられる無印良品のBOXを買い、全てのおもちゃをきちんと収納場所に割り当てたことです。
これまでの私なら、箱を買う時にサイズを間違えて注文するなんてことは
あまりにあり得る話なんですが、慎重に慎重に、メジャーでサイズ測って、注文しましたからね。これは驚くべき進歩です。
この完璧なるおもちゃ整理はママ友なんかからよく「すごいね」と褒められました。
前回のブログを読まれた方はわかると思いますが、整理整頓とは思いっきりロジカルシンキングそのものなんですよね。面倒くささの壁さえなんとか乗り越えれば得意分野ではあるのです。
この経験が非常に活きた形で、次の最終段階へ入ります。
マンション購入
子育ても落ち着き、バカ高い家賃に疑問を感じてマンションを購入しました。3度目の正直、今度こそ完全断捨離を目指して本気出しました。
リビング好きの家族の持ち物が基本リビングに全部収納できるように、収納を徹底的に考えました。
大量の本も200冊ぐらいは捨て、引っ越し後やっぱり入らなくてもう200冊ぐらい捨て・・とにかく全部の持ち物に「いれるべき場所」を作りました。
みんなに「すごい!なんて綺麗な家なんだ!」と言われるようにすらなりました。うちに来た人は「あー、うちも断捨離しなきゃ」なんて言って帰ります。「いつも綺麗にされていますね」とか。
どうでしょうか、この進歩!!
もう、誰も我が家で掃除を始めることは無くなりました。
しかもついにコードレス掃除機を買う許可が出てダイソンを買ったので、
私も掃除機をかけるようになりました。(基本来客前だけ、だけど。)
しかも賃貸じゃなくて持ち家となると、どうも「床」が気になり、なにかと「ワックス」までかけるように!!広くてピカピカの洗面所は毎日磨き上げています。
トイレも、ほぼ毎日マメピカをティッシュにつけて便器や床を拭いてます。
でも、そうはいっても来客が無い時は洗濯物は山となり、床には髪の毛に綿ぼこり、
おもちゃや着たものも散乱・・キッチンもごちゃごちゃです。
来客前は「完璧」な状態にしたいがために毎回精神がすり減る思いで片付け・掃除をしていました。
ADHDは気が散りやすいので、掃除・片付けしてたのに目に入った他のものに気を取られて全然進まず、時間が迫ってきて焦りまくることがものすごく多いのです。
そこで、私は来客がある前にやることリストを作り、iPhoneに入れておきました。
頭がパニック状態でも、この通りにやればいいので、少しは気が楽です。
このリストを見るとアロマオイルだとか、消臭だとか、臭いに結構気を使っています。
深層心理で、”不潔に思われたく無い!臭いと思われたく無い!”というのが過剰にある気もします。
最近はこれ見なくても手順が頭に入ったので、ほとんど見てませんが。。。
最近はさらに完璧を目指し、玄関に一足の靴も出ていない状態、洗面所にはコップ一つ出してません。やりすぎ?
さて、あとは、実行途中で気が散らないようにしなくてはいけないのですが、
効果的な方法を発見しました。
部屋のいたるところの照明を全てつける !です。
間接照明も全て。窓を開け放つのも効果的です。のんびりモードに喝を入れるのです。
これで今は戦闘態勢?であることを常に体に感じさせることができ、気が散るのを最小限に押さえられるのです。私だけかもしれませんが。。。
掃除や片付けをし始めるのに、ついつい気が散って全然前に進まないという、
ADHDあるあるを乗り越えるのに、「やることリスト化」と、「全部照明つけ、窓開ける」は結構効果的だと思うので、困っている方、よかったら試してみてください。
さて、最近ではみんなに感嘆されるほど綺麗になった我が家ですが、
私が綺麗好きになったのかというと、全く違います。
見えるところだけ取り繕っているだけです。
真の片付け好き、綺麗好きは引き出しを開けてみればわかります。
きちんっと並んでいます。なんなら重ねたお皿の”柄”が揃っていたりします。。。
例えば私の引き出し、”ハンドタオル”とか、”ハンカチ”とかきちんと書いて”分類”はできてますが、入れ方は正直突っ込んだだけ。無理矢理押し込んでたまに引き出しはきちんと閉まってすらいないことも。。。
子どもの服も”ズボン”とか”パジャマ”とか引き出しの全面にマスキングテープに書いて貼ってありますが、中は放り込んだだけです。。。
真の綺麗好きはスリッパの裏を拭きます。
私はスリッパの裏なんて気にしたこともありませんでしたが、たまに何かの拍子に裏返ると、かなり埃や髪の毛なんかが付いていて衝撃を受けます。ま、見て見ぬ振りですが。
極度な面倒臭がりが、そこまで出来ません。
面倒くさがりは、費用対効果ならぬ、「労力対効果」をシビアに判断しますから、手を抜けるところは最大限手を抜きなんとか人様から普通と思われたい一心で、なんとか外側だけでもここまで取り繕うことができました。普段はそんなことに使う頭の余裕が無いんですよね。。。
うちは来客が多いのもなかなかいい点ですね。床をきれいに拭くと気分まですっきりしていい気持ちになれます。でも、来客が無いとやりませんから。。。
それから”分類”できていないもの、というのが生活をしていくとどうしても出てきます。それらが来客がある度に「倉庫部屋」へ放り込まれます。あの部屋には入りたくもないです。
そう、まだ今現在住んでいるマンションにも立ち入り禁止の「倉庫部屋」があるのです。いつか倉庫部屋がなくなる日が来るのか・・・
とにかく相当なモチベーションが無い限り無理ですね。。。
もう、家買っちゃったので「引っ越し」という片付けの切り札も使えなくなってしまいました。
あの倉庫部屋を無くすことが今後の課題です。
ロジカルシンキングとの出会い
ロジカルシンキングとの出会い
ロジカルシンキングという言葉に出会ったのは大学院生のころ。
当時初めて聞く単語でした。
(小学生の頃に演繹法と帰納法ってやってるハズなんですけどね・・)
Life Hacker や ビジネスメディア誠(現在無くなりました)など、
その当時はいかにも就職活動が気になりだした学生らしいものをよく読んでいましたから、聞きかじりのロジカルシンキング情報は色々溜まっていました。
それだけでも、自分の感性が「ロジカルシンキングって好きだな〜」と感じていました。
(ちなみに相当の面倒くさがりなので、Life Hackや時短術みたいなのは大大大好きです)
本格的にロジカルシンキング好きに火がついたのはインターンシップ先でやっていた「ロジカルシンキング研修」を受けてから。
講師は現役コンサルタントの方で、超隙の無いロジカルな話にゾクゾクしました。
しかし、「ロジカル好き」を認識したものの、実際使いこなすにはまだまだで、
「ロジカルシンキング」を自分のものにできた感覚を持ったのは就職してからです。
学生の時に受けたあの「ロジカルシンキング研修」、就職後に
この研修のアシスタントをすることになったのです!!
同じ内容を何度も聞くのに、毎回新鮮で、
繰り返し聴くことで、「わかったつもり」だったことが本当の知識になっていくのを
感じました。さらには自分でこの研修をやるようになり、もっと強化されていった感じです。
ロジカルシンキング(フレームワーク思考)のいいところ
ロジカルシンキングのいいところはややこしい話を「構造化」できる 所です。
文字や数字の情報が基本的に苦手な私にとってそれを視覚化できるロジカルシンキングは素晴らしい武器を手にした気分です。
はじめにできるようになったことは、、、
どんな授業や講演を聞いても最後に質問ができるようになりました。
これはロジカルシンキング研修を受ける前、大学院生で初めてできるようになったことですが、内容が難しいかどうかはあまり関係なくて、話の構造に注目しながら相手の話を箱の中に入れていくような感じで聞くのです。
めっちゃ適当な図ですが、例えば以下のような箱をイメージしながら話を聞きます。
そうすると、比較すべき点や矛盾点、話されていない点が浮かび上がってくるので、質問するのがものすごく簡単になります。
講演の内容なんて全然わかってなくても質問できるので、賢そうに見えていいです。
(ごめんなさい、図で話を聞く癖が無い人には何言ってるか分からないかもしれません。。)
他には・・例えば会議。
どんな組織の会議も不毛な議論が多いと思いますが、大抵の人の頭の中は全然整理されていません。
こんな時ロジカルシンキング(というかフレームワーク?)を使ってホワイトボードに話を図解できると、論点が非常にわかりやすくなり、自分もみんなも分かりやすくなって重宝がられます。(なんとか誤魔化して進めたい上司などがいると、うっとおしがられます。。。この世は非論理的なのです。。時々”論理”の儚さに悲しくなります。)
自分が話したり書いたりする時は
ロジックツリーと呼ばれるロジカルシンキングでおなじみのあの図が非常に役立ちます。この図さえ作ればあとはそのまま読み上げるだけですし、質問がきてもすぐに回答できます。(「それは分かりません」も含め。)
これ、そのまま書く時の目次作りにも役立ちます。
論文を書く時もまずこの四角を埋める作業をすればきちんとロジカルな論文になるし、
雑誌やら本を作る時もこの構造をイメージしておけば、面白みはないかもしれませんが、きちんとした文章ができます。
本の目次ってこういう構造ですよね。
プレゼンテーション作りもこの図で大体いけるし、
イベント企画も大体こういう構造でいけるので、この図、かなり応用が利くのです。
このように「文字の羅列」を”図”にして考えることで
私の欠点はかなりカバーできるようになってきました。
(カバーできたのはいいのですが、機嫌が悪い時など、調子に乗って相手の揚げ足をとったり論破することに喜びを感じたり、、よく無いこともあって、反省しています。)
長めの文章を書いてから、同じことを言っている箇所をコピペして持ってきてまとめたり削除したりして構成を考えながら、文章を書くというのも私の中では「パズル」のようなものなのです。
かといって、
そもそも思いついた順に喋りがちで支離滅裂な話になりがちなADHDの私が
これを毎回毎回できるかというと、そんなん無理です。ブログなんて書けません。。
やるのは大事な企画書や資料の時だけです。とはいえ、多少は訓練によって向上している気もしますが。
読書好きな方など、
そういうことをあまり考えなくてもきちんと文章の先頭からスラスラ書ける方は本当に羨ましいです。。。しかも見ていてわかると思いますが、この文章の構造は分かりやすくはありますが、全然面白みがありませんので・・・面白い文章はまったくかける気がしません。
なんでも構造化
なんでも構造化して考える癖がつくと、とにかく複雑な問題に対して何が重要なポイントかみたいなことがすぐさまわかるようになってきます。
また、元々発想力のあるタイプでしたが、いい”箱”を設定してやるとさらにどんどん発想できるようになります。
「プロジェクトマネジメント」みたいなことも、どれも大抵決めることは同じなので、例えば家族で旅行に行こう!みたいな時にもおおいに使えます。
目的を設定して、必要なことを調べて、いつ?だれが?どのように?いくらで?なんてことを考えながら必要な割り振りやスケジュールを考える・・・
こんな時間は至福のひとときです。
ただし、一人で計画して、確認する人がいないと、例えば行こうとしていたお店が定休日だったとか、この割引は使える期間が決まっていたとか・・細かいミス多発です。
色々ミスしないように、これまでのミスの多さという経験値を活かして、気をつけているつもりですがなかなか改善されません。
「右から左へ文章を書き写す」「ミスがないか確認する」「もしもの事を色々考える」なんてことが異常なまでに苦手な私は、こういうことを頼める相棒がいると非常にいい感じで仕事が進められます。
いい組織に入ると、相手の苦手な仕事を私が引き受け、私が苦手な仕事を肩代わりしてもらえる場合があるので、そういうところで仕事ができると幸せです。
ま、仕事の話はまたいつか。
ADHD=タイプ7?
これは私の予想ですが、エニアグラムという性格診断をADHDの人が受けると多くの人がタイプ7になるんじゃないかと思います。まあ私がそうだからなのですが。
エニアグラムのタイプ7は楽天家でエネルギッシュで発想力があり、何かの計画をたてている時が至福の時なんだそうで。悪い所は飽きやすく、どれも中途半端で嫌なことに取り組まず、気まま(苦笑)全くその通りです。
私はロジカルシンキングでいうところのMECE(分類、カテゴライズ)が大好きだからか、人を性格で分けたりする心理学(一部占いも)だとかそういうものが大好きで片っ端からやりましたが、エニアグラムほど気に入ったものはありません。
本も何冊か買いました。よかったらネットでも簡易診断みたいなのが色々あるのでやってみてください。
となりで子どもがぐずるので、今日はこの辺で。
「忘れ物の女王」の作戦たち
子供の頃から、忘れ物だらけの私でした。
中学時代の作戦
高校時代の作戦
大学時代は割と順調?いえいえ、電車が危ない!
大学院時代、今度こそ順調、というか・・・
社会人になり、「重カバン」が復活したけど、スマートフォンの登場で・・
持ち物はミニマム
キャラで乗り切る!?
中学時代のスクールカースト・家カースト・心の闇
スクールカースト
中学時代にはいるとスクールカーストがはっきりしてきます。
女子の面倒な駆け引き的付き合いも加速します。
・いけてるグループ
・普通グループ(2〜3個)
・キモオタグループ
・ぼっち
私は中学生時代いじめられていると感じていましたが、これはちょっと被害妄想だったなと思い返しています。
確かに、キモいと言われたり、ハブられたり、陰口を言われたり、そういうことはあったなと思いますが、
キモいと落書きされたり、殴られたり、どこかに閉じ込められたとか盗まれたとかも多分無かったように思います。
ただ単に、「キモいので友達ができなかった」という感じでした。
もちろん、小学生から引き続いて先生に好かれることもありませんでした。
思春期の女子はとにかく群れるもので、
休み時間には集まり、トイレも連れ立って行き、もちろん弁当もみんなで食べます。
私を含め、みんななんとか安定的なグループに属したいと考え、あわよくばもう一つ上のランクのグループに入りたいと考え、心を削っているのです。
今思い返すと、私の立ち位置は「ぼっち」「ときどき普通グループ」という感じですが、修学旅行の時には「キモヲタグループ」に入れられてしまう、、そんな感じでしょうか。
行き帰り話をしたり、弁当を一緒に食べる子はいないことはないけど、
とにかく友人関係に悩み、イケてない自分を嫌になり続けていました。
そう思いながら、一方で
そんな筈はない!環境のせいだ!周りが悪いんだ、私だって・・・
と、どす黒い感情と共に負のスパイラルを落ちていきました。
めんどくさい女子たちの人間関係に神経をすり減らしながらも
小学校の頃のように「集団行動ができない」と言われる事は減っていきました。
この緊張感ある女子たちの駆け引きのおかげかどうかは分かりませんが、私は人を観察し、自分の立ち位置を把握し、「空気読む」ことが少しずつできるようになってきたのです。
精神的にはひたすらすり減っていましたが、学校からの「とんでもない子」という評価は若干軽減されてきたのも中学時代です。
家カースト
さて、スクールカーストだけではなく、我が家は家でもカーストがあります。
母と弟が「いけてるグループ」で、父と私が「いけてないグループ」です。
そんな話を振ってくるのは母だけなのですが、
母と弟は
・ 容姿がすぐれており
・ 明るく
・ みんなの人気者
・ 几帳面で学力も高い
私は父ににて
・ 容姿がブサイクとは特に言われなかったですね
・ 根暗で(だから)嫌われ者で、友達がおらず
・ ズボラで横着で不潔
と日常的に言われています。
友達ができない、とか、いじわるされた、みたいな相談をすると、
「あんたがネクラやから友達もできひんねん」と根も葉もないことを言われます。
まあ、実際そうなんですけどね。
「学校では馴染めなかったけど、家では理解ある母に助けられた」系の話を聞いて、本当に羨ましいなあと思います。
”窓際のトットちゃん” なんて超絶羨ましい境遇です。
トットちゃんはご自身いわく変人でしたが、優しく機転の効く母のおかげで素敵な学校へ入れてもらえて、先生にも恵まれ、のびのびと育っていきます。
他人を羨んでも仕方ありませんが、こんな私だって、せめて一人でも理解者がいてアドバイスをくれる人がいたら・・・ついついそんなことを考えてしまいます。
理解者もいなければ、社会生活を営むアドバイスをくれる人もいなかったので、
私はとにかく遠回りと失敗を繰り返しながら不器用に生きていくしかありませんでした。
頭の中に引きこもる
子供の頃から頭の中の世界に引きこもりがちな私でしたが、
どんどん加速していきます。
学校には行ってましたよ。家だって居心地よくないですしね。
空想の世界に浸り、
人間の生きる意味とは?大人になるってどういうこと?こんな人にはなりたくないなあ、宇宙はどうなっているんだろう。喜怒哀楽って気持ち次第で変えられるのでは?
そんなちょっと哲学的な問答をしてみたり、
一応年頃の女の子なので恋の相手を想ってみたり、
はたまた自殺のイメージも度々しました。
逆に嫌いな人や母をイメージの中で殺すというのも度々やりました。
「金田一少年の事件簿」が流行っていたので、完全殺人事件を考えたりしましたが、
どうやってもばれるなとか思って殺人鬼にならずにすみました。
どいつもこいつも!ロクデモナイ!
なんて、やけになって、無差別殺人を想像したりもしました。
ま、やってないですけどね。
本当は人格者になりたいな、優しい人になりたいな、そう思って友達に「一切怒るのをやめる!」とか宣言したこともあったのに、
ダークサイドは膨らんでいきます。
Googleカレンダーで計画性の無いADHDが計画大好き人になった訳とは?
計画大嫌い人間を計画大好き人間に変えたGoogleカレンダー。
一般的にADHDの人は計画性が無いと言われます。
見通しを立てたり、こまかなことを積み上げていくのが苦手で、衝動的に目の前のこと、思いついたことを行動してしまうのです。
まあ、確かに私もそうでした。
しかし、大学院生時代に出会ったGoogleカレンダー(と、Gmail)のおかげで私は計画大好き人間となりました。
Googleカレンダーはとても直感的に操作できます。
例えば研究室の予定は赤色、インターンシップ先の予定は青色、ボランティアの予定は黄色で、サッカーサークルの予定は黒、プライベートの予定は緑色・・・みたいに。
とにかく多動で、あれこれ活動するのが好きなADHD-かつエニアグラム7タイプの私ですから、いろんなことに手を出してしまいます。
実家を出て「自由」になった大学院生以降の私の活動量は相当だったので、
多数の活動の予定を頭の中で管理するのは到底無理でしたが、
Googleカレンダーで一瞬に管理できるようになりました。
頭から予定を消し去れる
それに、頼もしいのは、予定の10分前とか1日前とか、指定をしておけばその時間にメールやプッシュ通知でリマインドしてくれるのです。
ただでさえ容量の小さいワーキングメモリーを持つADHDですから、
不要なことに脳を使わずに、大事なことにとにかく脳の機能を集中しなくてはいけません。
Googleカレンダーに予定を覚えておくことをすべてお任せして、入力後はすっかり忘れてしまえる体制ができてから、安心して予定を詰め込むことができました。
急な予定変更があっても、その予定が入る別の枠を探せばいいのです。
繰り返し予定、例えば研究室のミーティングなんかは「毎週繰り返す」ボタンひとつで繰り返すことができて本当に便利です。ただ、脳が繰り返し予定に慣れてくると、無意識的に「無視」してしまうことがあって、難点ではありますが。
そういう風にGoogleカレンダーをまるでパズルのように使いこなしていくうちに、
私は計画を立てるのが大好きになり、完璧に計算されて詰まった予定を見るのにうっとりするようになりました。
そういえば恋人にも自分のGoogleカレンダーを共有し、デートの予定を聞かれると「空いてるとこを見て」という風に恋心も冷めそうな返答をしていました。
今の夫ですが。
結婚後も、カレンダー共有で家族生活も実にスムーズです。
数字ではなく、視覚的にわかりやすい「図」であることが大事
前回現代ビジネスで連載されている奥村さん(アスペルガー当事者)の人と違うなあと感じたところを書きましたが、
完璧に計画された予定を見て、うっとりしてしまうのは似ているなあと感じました。
しかし、この話にでてくるアスペルガーの方たちは「数字」に大きな関心があって、
数字、時間をきっちりしたい思いからの「計画」好きでしたが、
私は数字は超がつくほどの大嫌いながら、
パズルのように視覚的に「図」として見れるGoogleカレンダーなら大好きになれたんです。(前回のブログでも書いた通り、数学が超苦手なのに、図形問題は大得意なので、パズルのような視覚で捉えるのに向いているのです)
しかし、アスペルガーの人と比べると、
ズボラで柔軟性があるタイプなので、絶対に予定を遵守しないといけない!というような脅迫観念はあまりありません。
これはさぼってもいい予定だな、とあとから思いつくと、すぐに削除したりしますし、
そもそも「フリータイム」のような、何かあった時の埋め合わせの時間を多く設けていました(笑)
だから、計画立てるのが苦手、予定表を作るのが苦手、というADHDの方の中には私と同じように、Googleカレンダーなら馴染める可能性があるかもしれません。
でも、スマホからアクセスするのはあまりおすすめではありません。ぱっと視覚的にパズルのように操作できるのはやはりパソコンの画面で、スマホからはとりあえずできた予定を入れるとか、予定を確認するとか、そのくらいにした方がいいかもしれません。
Gmailも視覚的に認識しやすい。
Googleカレンダーに比べればおまけのようなものかもしれませんが、
今のようにLINEなどのチャットが無い時代でしたから、様々なやりとりは「メール」で行われていました。
大学の連絡、インターン先の連絡、ボランティアの連絡、サッカーサークルの連絡、
ボランティア系、意識高い学生系のメーリングリスト、メルマガ、広告、SNSからの通知そして、普通に個人当てにくる大事なメール。
多い時には1日の受信が300件とかになるのを、普通のメールソフトで仕分けるのは到底無理というものでした。
それがGoogleの素晴らしいメールがあるらしいと、いち早く情報系学部の友達が教えてくれて使ってみると・・!!すごいなんて言葉では表せないぐらい衝撃を受けました。
受信トレイなんて馬鹿げたシステムではなくて、
条件を設定しておけば、カラフルで見易い「ラベル」がつきます。
例えば研究室の連絡は赤色、インターンシップ先の連絡は青色、ボランティアの連絡は黄色で、サッカーサークルの連絡は黒、このメーリングリストはオレンジ、この会社からの広告は受信トレイをスキップしてアーカイブみたいに。
このフィルター機能、ラベル機能のおかげで
大事なメールを見分ける時間が大幅アップ、処理能力が大幅アップしました。
Gmailに記憶を丸投げ。
それに、どんな古いメールでも、かけらほどのキーワードでさっと検索できるので、
メールアドレスを登録するという習慣もなくなりましたし、
とりあえず保管しておかなきゃいけない情報やメモを自分当てにGmailに送っておくということもやり始めました。
しかし、GoogleカレンダーとGmailでは、
こなさなければいけない予定をうまく仕分けるということだけで、
自分から計画を立てて、実行するというのにはそこまで貢献した訳ではありません。
それが「超得意」になったのはロジカルシンキングとの出会いが大きいですが、
これはまた今後書きたいと思います
苦手な教科が真逆!アスペルガーの方の記事を読んで感じた違い。
現代ビジネスで骨太なアスペルガー当事者の方の連載がありました。
めっちゃ面白くて、きのうからガーッと読んでしまいました。
「アスペルガー」と「ADHD」は「変人」という点では同じかもしれませんが、
実は全然違います。
でも、この記事を読んでちょっと似ているところもあるな、とも思いました。
(この著者はアスペルガーだけれども、優秀で頭脳明晰な所が羨ましく思いました)
まず、ちょうど真逆だったのは「数学」で苦手な分野です。
私は数学は極端に苦手で、毎回のテストでは酷い点数でした。
0点を取って、気の毒に、母親が学校から注意を受けたこともあります。
中学生時代の定期テストの数学の平均点は30~40点代だったと思います。
それが、一度だけ90点を超える高得点をはじき出したことがありました。
それは「図形」の問題です。証明問題なんて、もう解くことが楽しくて楽しくて。
どんどんやらせてほしいという感じでした。
苦手な「数学」で90点だなんて!嬉しかった気持ちを今でも覚えています。
他にも「確率」だとか、数学っぽくない単元は大得意でした。
しかし著者の奥村さんは全く逆で、
いつも得意な数学が、図形の分野でだけは酷い成績だったそうです。
また奥村さんが苦手だった、
「現代文」のこの主人公の気持ちは?というような問題は
失礼ながら、毎回、(こんなものがわからない人がいるんだろうか?)
と純粋に不思議でした。
漢文や古典とも違い、普通の日本語で書かれている上、こんな自明なことを聞いて何が勉強になるんだろうと思っていたのです。
これもまったくの真逆でした。
その他私が苦手だったのが漢字。
全然記憶が定着せず、今でも小学校で習う漢字の半分も書けないのではないでしょうか。
あとは、大抵の暗記系科目もダメでした。
特に数字の羅列は最悪で、年号を覚えるとかもう全然だめ・・・全然頭に残りません。
フォトグラフィックメモリーで記憶できるだなんて、うらやましすぎます。
意味があることの暗記はそれなりにスムーズでしたし、いわゆる「文章題」と言われるような系統の問題は比較的得意でした。
それに昔から知識欲が旺盛で雑学博士のような所もあり、そういった意味での記憶力はあるはずなのに、特定の分野になると、ぱたっと記憶できなくなるのです。
大人になった今でも酷いのは「人の名前」です。
「人の名前を覚えるのが苦手」という人は大勢いますが、きっと私はその範疇を超えています。「大勢が一斉に自己紹介」なんて、もちろん”かけら”も覚えられないのはもちろん、「一対一で自己紹介」という場面でも、
例えば初対面の方の自己紹介で「山本梨沙(例)です」と言われたとします。
ここで私の行動パターンは2つに分かれます
名前は一瞬で無くなり(そもそも脳の中に一度もはいってこない)
目の前の会話、「以前は何のお仕事されていたんですか〜?」だの「どちらにお住まいなんですか?」だの、初対面らしい会話のやりとりに集中し、感じよくご挨拶した後に顔も名前も綺麗さっぱり忘れて、次にあったとしても名前がわからないどころか、全く気がつかないというパターン。
もしくは名前を覚えることに重点をおくパターンだと、
「山本梨沙(例)です」と言われた直後、全部なんてとてもじゃないけど覚えられないので、まず「山本」にしぼり、頭の中でひたすらリフレインします。
「やまもと・やまもと・やまもと・やまもと・やまもと・・・」
しかし、ここに集中していると、会話がままならなくなります。
「以前は何のお仕事されていたんですか〜?」だの「どちらにお住まいなんですか?」だのそういう会話にニコニコと曖昧な相槌を打ったりする以外、
何か他に脳を働かせた瞬間に「やまもと」は消え去るので、
終始適当な相槌を打って、(絶対に変に思われているだろうな)と感じながら、
「では今後もよろしく」みたいなことを言って相手がいなくなるのを待ち、急いで携帯電話かメモを取り出して「やまもと」と書き込む。それでやっとほっとできるのです。
つまり、いくらリフレインし続けていてもかけらも頭の中に記憶されてないのです!!
そのメモを何度も繰り返し見ることで、ようやく記憶に定着してきます。
しかも困ったことに、「顔」の記憶はすっぽり抜け落ちていますので、次会った時は相手の反応を見て「知り合いかな?」喋っている内容から「これはあの時の山本さんかな?」と推測する羽目になります。。
(これが子ども達の顔は覚えられるし、本名ではなくニックネームだと覚えられるので、不思議です・・・私の頭の中、どうなってるんだろ)
そういう感じで、特定のものについて記憶にとどめるのは本当に困難を極めました。
だから学生のころ、いつまでたっても勉強の仕方がわかりませんでした。
教科書や参考書を一度読み始めて理解できたところはスムーズに頭に入り、
2回目以降どんなに読み返したり、書き出したりしても、1回目以上にはほとんど頭にはいってきませんでした。
ですから「試験勉強」「受験勉強」というのは9割程度「やってるフリ」
でした。机に向かいながら、下に隠した漫画本を読んだり、漫画の落書きをしたりするだけです。
みんなが「受験勉強が辛かった」みたいな話しをしている時、私はどうも居心地悪い気持ちになります。だって、一度も努力したことがないというか、、、頑張ることなく自分の実力通りの所に行きました、という感じだったので。
実は小テストでも受験でも、普通終わったら間違えていないか「見直し」すると思うんですけど、「見直し」が私には全くできませんでした。
一般の人からすると「見直し」ができないなんて、意味不明だと思うんです。
やるかやらないか、ただそれだけだと思われると思いますが、
私は一度解いた問題を何度見返しても、かけらも集中できず、間違いが全く見つけられず、ただ「見直しているふり」だけしかできないのです。
”不注意、ミス”
が社会生活で問題となることが多いADHDですが、
自分でもわかっていて、不注意、ミスを減らそうと、「見直し」をするのですが、
脳の中では「合っているもの」と判断してしまっているのか、ちっとも「見直し」が功を奏したことがありません。
だから、「校正」が私に一番向いていない職業だと思います。
アスペルガーの方とちょっと似ているなと思ったことに続く