はじめに 〜問題児の”問題”は先生から見た”問題”〜
「問題児」だった幼少期
自分ではそのつもりは無かったのですが、
子どもの頃の私は、いわゆる「問題児」だったそうです。
その頃はADHDなんて言葉は全く浸透していませんし、とにかくよく叱られました。
しかしポジティブシンキング?というか忘れやすい性格で、
懲りずにまた問題を起こしてはまた叱られていました。
というかそもそも何が問題なのかをよく分かっていなかった気がします。
幼稚園時代から母は何度も園に呼び出されたり、電話がかかってきたり。
小学校時代も、全学級の先生が名前を知っていたほど。
その問題児っぷりは後に書くとして、
中学時代にはその問題児ぶりは多少は収まるものの、
やっぱりちょこちょこと問題はありました。
高校ではかなり社会に適応してきたのか?
それほど「問題」となることはありませんでした。
「問題児」の”問題”は先生から見た”問題”
しかし今思えば「問題児」の「問題」というのは「先生から見た問題」なんです。
「微妙ないじめ」「友達ができない」「自信が持てない」「死にたい」
などという「内面的、そして友人関係の問題」は中学、高校と、加速している気がしました。
ということで中学〜高校時代は私の内面が完全に暗黒期で、
とにかく日に日に生きている意味がわからなくなり、
死にたいと思わない日は無く、
飛び降り自殺を図れそうな具体的なマンションも検討するほどでした。
「内面的な問題」は母娘関係が引き起こしていた
大学時代に恋人ができたこと、
アルバイトを始めたことで内面的な問題は少しずつ好転し始めます。
大学院へ進学後に「一人暮らし」を始めてからは
人生の絶頂期とも言えるほど、楽しい毎日でした。
「ITとロジカルシンキング」にであい、
それによってADHD的な欠点を随分カバーできるようになってきました。
(とはいえまだまだADHD的な問題にはぶつかるのですが)
仕事でも色々ありましたが、かなりラッキーな職場環境だったりして、
とにかく人生は充実の方向へ向かい、
「君には君にしかできない良いところがあるんだから、欠点を直そうとする必要な無い。そんな欠点は僕ができることなんだから僕がすればいいだけのことだ。」
と言ってくれた稀有な男性(現在の夫)とめぐり合い
結婚、一児の母となりました。
妊娠中は自分が子どもに虐待をするのではないかと恐れていましたが、
そんなこともなく、むしろ子育て上手だねと、よく言われるようになりました。
今思うと、外側の問題はADHD的性格が引き起こしていましたが、
内面的な問題は母娘関係が引き起こしていたなあと自分的に結論付けています。
(今風に言えば「毒親」となるんでしょうか。)
このブログでは自分の今までを整理し、
同じ困難に立ち向かっている人の何かの役に立つため、
そして
私の赤裸々な失敗の数々を面白く見ていただければ
と思って書くことにしました。
どうぞ宜しくお願い致します。