ADHDな私と毒親をひたすら考察する

ADHDのチェックシートはほとんど「はい」の私の現在までの振り返りと、考えると吐き気がする母親の考察を通じて心の整理ができればと思って始めたブログ

ADHD娘と潔癖性母

「汚な好き」と呼ばれ続けた私

 

子どもの頃からかなり大きくなるまで

私は「汚な好き」と母から呼ばれていました。

 

 

確かに、酷く汚かったです。

(汚いのが好きというわけではないのですが・・)

上も下もなく、カバンも部屋もグチャグチャ。

 

 

小学生になってから

学校の机の中には大抵腐って緑色になった食べかけのパン

(給食のパンが嫌いでこっそり残したもの)が2〜3個入っていました。

 

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(画像はよそのブログからお借りしましたがこんな感じに、綺麗に全体が真緑になります)

 

 

最悪なのは

掃除の時間に机を運ぶ時、誰かが蹴つまずいたりして

”ザザーッ”と机の中のものがみんな出てしまった時です。

 

「うわっっ!!汚ったね〜〜!!」なんて男子に言われたら、さすがの私も赤面です。

恥ずかしさのあまり、穴があったらはいりたい・・・。

 

そんな最低最悪な経験を経ても、

「腐ったパン」や「ぐっちゃグチャのプリント」は机の中から消えませんでした。

 

 

自分でも

”恥ずかしいならちゃんとやれよ”

と思うのですが、ダメだということがわかっても、

具体的にじゃあどうすればそれがなくなるかというのが分からなかった気がします。

 

 

こういう子、男の子にはたまにいるんですけど、残念なことに私は女子。。。

ゲテモノ扱いされるのも当然な気がします。

 

 

しかし、最近 ”汚部屋女子” も増えていると聞きます。

でも、少なくとも小中高の間、

机やカバンが私より汚い”女子”は見たことがありません。 なぜ??

 

 

 

潔癖性母

さて、一方の母は潔癖性。

記憶のある幼稚園位の頃から、母のイメージは「拭き掃除」です。

毎日毎日、掃除掃除掃除です。

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子ども達が帰ってくると、必ず足を洗わされました。

まあ確かに、幼稚園の頃なんてドロドロでしたからね。服も着替えていた気がします。

でも、大学生ぐらいになっても「帰ってきたら足洗い」でした。

 

そんな母が家の前でみんなと「泥遊び、泥&砂おままごと」を許可してくれていたのは凄いことだなあと今になって感心しますが、

 

最悪なのが途中で「トイレ」に行きたくなってしまった時。

手足をピカピカにして、洋服も着替えないと中に入れないので、

途中で家に入ってまた出てくることは許されません。

 

私が「まだ遊びたいけどトイレさせてくれ」と懇願して、

「お友達の家で借りなさい」と言われた時の驚きは今でも覚えています。

 

子どもの頃その対応は異常だと思いましたが、大人になってもそれはやっぱり異常だと思います。

 

また、大人になってから、子どもの頃の写真を見て気づいたのですが、

母は何でもかんでも

「埃がつくから」

という理由で、あらゆるものに”スーパーの袋”をかぶせていました。

 

というわけで、その写真にはあちこちにスーパーの袋が写っていて、

パッと見はゴミ屋敷のようなんです。。

潔癖性が高じるとゴミ屋敷になるとは。

 

というわけで

過度に汚い娘と過度に潔癖性の母がうまくいかないのなんて、

まあ目に見えていると思うんですが、詳しいお話はぼちぼちと。