行き過ぎたポジティブシンキング
私は、子供のころからとてもポジティブとゆうか、楽観主義なところがありました。
思いついたことは何でもできるような気がしたのです。
加えて厄介なことに、私は意識高い系の子供でした。
例えば小学生の時、(何年生だったか忘れましたが)
将来なりたいものという欄に「総理大臣」と書いていました。
いや、違います。
漢字が苦手で間違えていたので、「そうり大人」と書いていました。
非常にこっぱずかしい子です。
カラオケ大会
小学2年生の時だったと思います。
学校でカラオケ大会が開かれるという話がありました。
クラスではカラオケ大会に参加したい人が募集され、私は意気揚々と立候補しました。
歌が得意だとかそういうことは全くなかったのですが、
自分の父がカラオケの先生をしていることを大変誇りに思っていたので、私もやればできるはずと思いました。
また、父が練習をしてくれるはずだとも思いました。
しかし、実際は違いました。
何の歌を歌いたいかもわからないし父が練習をつけてくれることもありませんでした。
どうしていいかわからないまま、本番の日が来てしまいました。(本番がいつかもわかっていませんでした)
高学年のお姉さんたちがグループを組んだりして、アイドルの歌なんかを色々歌いました。もちろんバックには華やかなBGM付きです。
私は、BGMを自分で用意するもんだということも知りませんでした。
おまけに、全然練習もせず本番になってしまいました。
BGMもなく、アカペラ。
しかも歌った曲は音楽の授業で習った「思い出のアルバム」です。
🎶「い〜つのこと〜でしょ〜思い出してご〜らん〜あんなこと〜こんなこと〜あったでしょう」
途中で歌詞を忘れてごまかして舞台を降りました。
自分でもなぜこんなことになってしまったのか、わかりませんでした。
とにかく恥ずかしさだけが残りました。
自分ができなかったことを棚に置いて言うのもなんですが、
言っても小学2年生です。周りの大人はもう少し助けてくれてもよかったんじゃ無いかと思います。
親にもカラオケ大会の話はしたし、クラスでもたった一人立候補した私に、「準備できてる?」とか「BGMはあるの?」とか、先生も声をかけてくれてもよかったんじゃ無いか。
私はなかなか変な子でしたが、サポートしてくれる大人というのには全く恵まれませんでした。
憧れの鼓笛隊・指揮者
5年生か?6年生?の運動会では憧れの鼓笛隊の演奏があります。
ピアニカに小太鼓、トランペットにベルリラ・・・色んな役割がありますが、なんといっても一番なりたかったのは指揮者です。
学年全員あつまって、まずは指揮者を決めます。
希望者はまず挙手をし、その後じゃんけんだったか、先生の推薦だったか?話し合いだったか?で決まるものでした。
もちろん私も意気揚々と挙手しますが、なんと、私の名前は呼ばれませんでした。
先生(私と相性の悪かった女の先生)が挙手した私を無視したのです。
別の先生が「Mちゃんもあげてますよ?」と小声で耳打ちしましたが恐ろしい形相で首を横に振っていたのが見え、私は諦めました。
まあ確かに私がやってもろくなことにはならなかったでんでしょう。
でもチャンスももらえないだなんて・・・
その後、指揮者以外の役割が決められて行きました。
次の希望だったのは確かベルリラでしたが、じゃんけんで負けて、小太鼓もじゃんけんで負けて、フラッグは審査に落ちて、結局「ポンポン」になりました。
ポンポンは私にとっては最悪でした。
ちっとも上級生風じゃないし、楽器ですらない。
ピアニカとポンポンは人数が多かったのですが、まだピアニカの方がましでした。
学級委員
中学生になってからは学級委員に立候補したこともあります。
でも、先生から親に連絡があって、「Mちゃんにはちょっと難しいのでは」と言われて立候補をとりさげることになったこともあります。
こうして書いてみると、とにかく私は自分のことも全然できていないのに、やたらと人の上に立ちたがることが分かります。
人の上に立ちたがる人は自分に自身がないとか、承認欲求が満たされていないからだとか、色んなことがいわれますが、なんとなくちょっと違う気がしていて、
「世の中をよくしたい」
とかなり小さい頃から思っていたのです。
自分ができるかどうかはさておき、
「理想的な世界」のイメージがあって、それを実現したいと思っていたので、
「神様になりたい」なんて思っていたこともありました。
もちろん、単に目立ちたがり、でしゃばり、承認欲求が強い
というのもかなりあると思います。
とにかく私は
自分に出来もしないことを、まるで出来もしないなんて思わずに手を出しては
恥ずかしい思いをいっぱいしてきました。
そして今でも「自分ができると思っていること」と「自分ができること」にかなり乖離があると思うので、困っています。
こういう人のことを一言でいうと「イタイ人」です。
長らく「イタイ人」と他人から思われてきたと思うし、自己イメージも「イタイ人」でしたが、最近では”イタくてもいいや”なんて思うようになってきました。