ADHDな私と毒親をひたすら考察する

ADHDのチェックシートはほとんど「はい」の私の現在までの振り返りと、考えると吐き気がする母親の考察を通じて心の整理ができればと思って始めたブログ

母の病気に対する考え方がおかしいと思う

さっき、「アレルギーを持つ子の親の苦労」みたいな記事を読んでいて、だんだん自分のことを思い出して腹が立ってきたので、記事を書いてみます。

 

(このブログ、自分のことを書こうと思っていたのに、母親への不満ばかり書いている気が。。。でも今まで、どこにも吐き出せずにいたのを、とにかくいろいろ書いてみると、新しい景色が見えるんじゃないかと思うので、ま、いっか。)

 

さて、話を元に戻すと私は割とアレルギー体質で、1番ひどいのは、ピーナツアレルギーだけど、アトピー性皮膚炎ぽい感じだったり、花粉症も小学校の頃から発症してました。

 

ピーナツアレルギーが発覚したのは幼稚園のころ。好きな男の子にチョコボールをもらってウキウキで口にした直後、猛烈な気持ち悪さに襲われすぐ帰宅(家の前で遊んでいた)救急車で運ばれ、関節のあたりになにか注射をされたような記憶がある。

とはいえ、(量にもよるけど)すぐ死ぬほどの重症患者ではない。

うっかり口にしてしまうと、全身じんましんが出て、猛烈な吐き気と血圧の低下を感じ、しばらくもがき苦しんでから吐くと割とすっきりする。そんな程度です。

 

ピーナツアレルギーが発覚したのちも、私の母はピーナツに無頓着でした。

冒頭に書いた「アレルギーを持つ子の親の苦労」なんて、かけらも感じなかったと思います。

例えば、カレーの王子様だったかな?

子ども向けのレトルトカレーには微量ながらピーナツバターが使われていた(当時)ので、食べるたびにじんましんが出て気持ち悪くなるのに、「好き嫌いはいけません」とかいって、無理やり食べさせられてました。

(カレーにピーナツバターが含まれていることに気づくのは随分後。現在ではカレーの王子様にはピーナツは確か入ってなかったと思う)

今思うと好き嫌いだらけの母が「好き嫌いはいけません」だなんて、笑っちゃいますね。

 

学校給食でも度々誤食がありました。

学校の対応も今なら大問題だと思うけど、昔は雑だったし、自分で気をつけて「食べない」ようにする以外、先生が何か気をつけてくれることもなかった。元々給食の中でも結構好物だったほうれん草とちくわの和え物に、ある日突然ピーナツがトッピングされてきた時は最悪でした。。。同じく好きなメニューだった親子丼が食べられなくなりました。。。

大学生頃になると友達と旅行にいったり、研究室旅行にいったり、、、また、なにか会食をするようなことや結婚式などもいろいろでてきたけど、みんな幹事はすごく気をつけてくれて必ず旅館や、会食先にピーナツアレルギーのことを伝えてくれてました。

 

そんな折、家族でいった旅行で旅館のご飯にピーナツが混ざっていて、(もちろん事前に除去の依頼などしていない)せっかくの食事が台無しになり、人生初のあわびを食べる機会を失ってしまった。かわりに私が独自にあみだしたアレルギーをやわらげる方法、「牛乳1Lいっきのみ」になってしまった。。。

 

そう、なにがいいたいかというと、アレルギーに対してうちの家庭は非常に無頓着なのです。

ピーナツアレルギーはもちろんそうですが、

小学生の頃から極度の花粉症だった私は春には鼻水だらだら、目が痒くて痒くて死にそうだったのですが、自分から薬局で「花粉症用の目薬を買ってほしい」とお願いして買ってもらう程度で、

親からのなにかしらのアクション、病院につれていくとか薬局で相談するとか、そういうのはまるでありませんでした。

 

それだけではありません。とにかく病院にいかない、薬を飲まない家でした。

子どもの頃は「風邪だ」と言われてただ家で休んでただけだけど、今から考えるとあれは絶対インフルエンザだなと思うものも、もちろん病院にいかないし、

 

つい最近母が話してくれたのですが、

今の実家に引っ越してきてすぐのころ、弟(3歳)が40度の高熱を3日も出し続けた話でなんですが・・・

「(弟の名前)がずっと高熱を出しているのに、お父さんは会社を休んでもくれなかったから病院にいけなかった。おばあちゃん(自分の母)に相談したら、”そんなもの今すぐ病院に連れて行きなさい!(弟の名前)の頭がおかしくなってしまうで!”と言われて慌てて父の会社に電話してすぐ帰ってきてもらって病院に連れて行った」というものです。

みなさんどう思います?おかしいでしょ?

母はこの話を「父がどれだけひどい人間か」という話として私に得意げに話すのです。

自分で連れて行けよって話じゃ無いですか?

確かに車が無いと不便な場所で、母は運転できません。しかも引っ越してきたばかりです。でも、普通、調べてタクシーでいくでしょ?

 

母はそんなことがちらりとも頭に浮かばない人で、

父がいなくては一歩も外へ出れない人だったのです。

そして、自分のせいだなんてつゆほども感じず、父を非難するのです。(父が悪く無いといいたい訳ではありませんが)

 

中学生の頃には生理がはじまって、私は人よりも生理痛が重いタイプだったので、生理があるたびにベットで悶え苦しんで、握りこぶしで床を殴りながら痛みに耐えていたんですが、もちろん鎮痛剤をもらえる事はありませんでした。

しかも、「そんなことに耐えられないことでは出産はできない」と言われていました。

とにかくお腹がいたいというと、いつもこれです。

 

高校受験の時、運悪く受験と生理が重なってしまいました。

それでも母は鎮痛剤を飲ませませんでした。多分いじわるで飲ませないんじゃなくて、思いもつかなかったんだと思います。

 

お腹が痛くて痛くて、、、でもなんとか試験を続けていました。

しかも、受験シーズンは花粉シーズン。高校の前は杉林です(苦笑)

前述したように、重度の花粉症だった私はあまりに鼻水が滝のように出るので、ティッシュなんかでは追いつかず、試験監督に「タオルを出して受験してもいいか?」と尋ねたのを記憶しています。

それプラス、生理痛です。

 

昼休み、あまりの痛みに耐え切れず、保健室にいきました。

保健室の先生が「かわいそうにね」とかいいながら腰のマッサージをしてくれると、

幾分痛みが和らぎましたが、30分もすると、また痛みが戻ってきて、、、結局痛さを堪えつつなんとか試験を乗り越えました。

 

ま、合格したからよかったんですけど。

今考えると晩御飯に受験に勝つとかいってトンカツつくるんじゃなくて、薬くれよって感じでしたが、私もこんな家庭に育ったもので、薬飲むって発想がなかったんです。

 

 

私の病院に対する考え方が変わったのは大学生で初めて彼氏ができた時でした。

風邪をひいたというと「病院にいったほうがいいよ」というのです。

風邪で病院だなんて、私はびっくりしました。

 

また、私のアトピー(足首や腕など局部的なもの)があんまりひどいので、いい病院を探して連れて行ってくれたり、漢方薬がいいんじゃないかとかいって、漢方薬局に連れて行ってくれたりしました。

これ、書きながらなんて優しい彼氏だったんだろうと涙がでますね。。。

 

そのあたりから私も、何かあったら病院に行くという、

当たり前といえば当たり前の理解ができるようになりました。

生理痛を我慢せずに鎮痛剤を飲むようになったのもこの頃だったか、もう少し後だったか。今までなぜこんなにも我慢していたのか。。。。

 

たいしたこと無いことでやたらと病院にいくのもあれかとは思いますが、

我が家のようにここまで徹底して病院や薬に頼らないというのもどうかと思います。

しかも、それは病院や薬に対する信念みたいなものがあって、

あえてやっているのではなく、頭が空っぽで何も考えてないから、何かを調べる能力が無いからだと思うのです。

 

母は常々自分が学校の成績が優秀で学級委員をやっていたことなどを自慢してくるのですが、ほんとそのご自慢の優秀さは微塵も役に立っている気がしません。

そして「大学が嫌だといったら短大に行かされた」という母が行ってた学部が”家政科”です。Wikipediaによると

家政学は、家庭を守る婦人の為明治時代から発展した学問である。現代では生活科学の方面へと発展している。

 ですって。

 

もう、ほんと笑っちゃう。

家庭的なことなにもできないのに。。。

・ 子どもと遊ぶのきらい

・ 家庭の医学のかけらもわかっちゃいない

・ 料理下手、栄養バランスや献立能力無し

・ お菓子やパンなんてまるで作れない

・ 裁縫苦手

とか、あげはじめるとキリが無いからやめとく!

 

母への不満は幼い頃から常に私の頭のなかを占拠する事柄で、

結構温厚な私の唯一のダーク部分って感じだったのが、

ようやくここ数年で随分落ち着いてきたけど、

落ち着いてきた理由は、いろいろ分析していくと、

私が憎くて?私をバカにして?やってたってことよりも、

ただ単に

頭が空っぽで自分の頭で何も考えられず、全部人のせいにしていた結果だ

ということがわかってきたからだと思います。

 

いるんですよね、こういう人が。

口は達者なので、周りの人たちは母のおかしさに全然気づいてないと思いますが・・・

 

今回書いた「母の病気に対する考え方がおかしいと思う」ってものも全くもってこの理由。自分の頭でな〜んにも考えてないんですよね。

 

はあ、すっきりした。

次こそ自分のこと書こうっと。