ADHDな私と毒親をひたすら考察する

ADHDのチェックシートはほとんど「はい」の私の現在までの振り返りと、考えると吐き気がする母親の考察を通じて心の整理ができればと思って始めたブログ

「体育・運動が苦痛」幼少時代からの苦手が高校3年で急に克服される

私は運動が苦手でした。

これはADHDと必ずしも関連性がないそうですが、一部関連性があるという記述も目にしました。どれが本当かどうかわかりませんが

とにかく、私はどんくさくて、運動センスがありませんでした。

 

私は運動音痴

50m走で10秒を切ることはなかったし

<実は高校時代に1度だけ切ったことがありますが(笑)>

ボールが怖くて、ドッジボールやバレーなんて最悪の競技だと思っていました。

 

水泳も、5年生まで、息継ぎができなかったし、

二重跳びは毎年足を痛めるほど練習するけど、できたことはないし、

大縄跳びも怖くてすごく苦手。

 

野球でいわゆる「フライ」ボールがどこに落ちてくるのか予測するのも非常に苦手でしたし、足で操るサッカーなんてとんでもありません。

リフティングの最高記録は4回です・・・

 

そもそも、基礎能力がなく、

ジャンプ力や握力、ボール投げなどもかなりひどいものでした。

 

ポートボール?とバスケットは比較的好きなスポーツでした。

あとはあんまり運動センスのいらない「長距離走」これは人よりいい成績でした。

(学年の女子150人中5km走が12番とかだったんですよ!)

 

運動音痴の2次被害

こうひどい運動能力だと、体育の成績というより、

「ジャンケンでチーム分けした時、同じチームだと落胆される」という

子どもの心が結構傷つく2次被害がでてきます。

 

それでなくても、汚い、宿題しない、忘れ物だらけ、集団行動できないetc...私。

そこに運動音痴も加わります。

 

小学校高学年の頃のある日の下校時、

男のたちのひそひそ話が聞こえてきました。

「学年で一番キモい女子といえばMちゃんやでな」

 

残念でつらいことでしたが、今更聞かされるまでもなく、

学年で1、2を争う「キモ子・変人」であることは自分でもわかっていました。

 

 

転機が訪れる

この頃から私の「体育・運動が苦痛」人生はずっと続き、恥ずかしさを抱えながら暮らしていましたが、高校3年生の時に転機が訪れます。

 

私は人数の少ない理系クラスということで、割とクラスの結束が固く、「クラスのイケてるグループの女子」(普通ならまあ私と交わることの無い人だったのですが理系という特殊な環境でスクールカーストが緩かった)の明るくて面白いタイプの女の子が

バレーの授業の時に人生で一度もサーブが入ったことのない私に、練習したら絶対にできる」と言って、授業後に一緒に練習してくれたのです。

 

そしたらその休み時間の間にも私のサーブは入るようになりました。

私はすごく嬉しくて嬉しくて。

しかも「練習をすることで何かができるようになった」経験はこの時実感として初めての経験でした。

 

卒業間近の頃でしたが、「私もやればできるかもしれない」という微かな自信を持つことができました。

そして実際、この後「ものすごい上手」ではないものの、一通りみんなと楽しめる程度にはどんなスポーツもできるようになったのです。

 

「できるイメージ」を持つだけで劇的に変わった

高校3年のバレーのサーブができた事件以来、

私は「できないできない」と思っていることが余計にできなくしているということに気づきました。そして、体の能力というよりは「できるイメージ」を持つことで、そこそこのところまではできるんだと分かりました。

 

まずはバドミントンとキャッチボール。「できるイメージ戦略」で割とすぐ普通程度にこなせるようになりました。

バドミントンは「手のひらが伸びたと考えてやるといいよ」という当時の彼氏のアドバイスがすばらしく、割と上手になりました。

そして、毎年毎年足首を痛めるほど練習してもできなかった2重飛びだって、

大学の研究室でなぜか縄跳びブームになった時にあっさりできるようになり、

ダブルダッチ(縄2本で飛ぶ大縄跳び)だって飛べるようになりました。

 

バレーも、みんなと仲良く円陣バレーを楽しむ程度にはなりました。

空振りばっかりのバッティングも「できるイメージ戦略」でまあまあ打てるようになり(力が弱いので、全然飛びませんが・・)

おかげで「ソフトボール」なんかも楽しめるようになりました。

ボーリングやダーツなど、友達とやる機会が多いものも、普通にできるように。

 

これまで恐怖だった”運動”でしたが、社会生活を楽しむレベルにまでは、

”特訓”なんかほとんどなく”意識改革”だけでできるように変わったのです。

 

そして、

そうはいってもこれだけは絶対に無理と思っていた「サッカー」ですが、

なんと成り行きもあって、大学院時代にフットサルサークルに入ることに。

 

相変わらずドリブルやリフティングなんていっこもできない上、

足も遅いのに、サインを出してパスをもらってもスルーしたり(汗)

大抵はゴール前でボールをもらってゴールに押し込む役でしたが。。

 

それでもなぜだかとっても楽しくて、東京で就職してからもフットサルチームを探すなどして続けていました。

 

ここまで読んで気がつかれたかもしれませんが、

「運動神経最悪で学年一のキモ女」だった私ですが、

もう「リア充」と呼んでも差し支えないほど人生が好転していました。

好転の理由は他にも色々あるのですが、「運動に対する自信」もそこそこ大きい理由だと思っています。

 

もし「絶望的に運動苦手」な若い人がこれを読んでくれたなら、

「あなたもできるイメージを持つだけで変わることがあるかもしれないですよ!」と言ってあげたいです。

 

 

学校教育に苦言

さて、私が絶対にできないと思っていたバレーのサーブ。

友達がちょっとの時間を割いてマンツーマンで見てくれただけであっさりとできるようになりました。

これまでなんどとなく体育でバレーの時間はありました。

学校の体育の時間、先生は何をしているのでしょうか。

いつも先生たちは「さあやってみなさい」といって、あとは評価するだけです。

(図画工作や作文とかもそうですけど)

ちょっと、ほんのちょっと一人一人と向き合って「指導」すれば変わる子は絶対たくさんいるはずです。

評価するだけで指導しない。学校教育ってなんだろな、と思います。

まあそうじゃない先生や学校もたくさんあるとは思いますが。

 

もちろん、親もこれまで書いてきた通りの感じなんで、私の運動音痴をなんとかしようと尽力してくれるなんてこともありませんでしたけどね。

困っている子どもに手を差し伸べてあげる機会がもうちょっと多くてもいいんじゃないかなと、以前困っていた子どもの代表として、言いたいです。