ADHDな私と毒親をひたすら考察する

ADHDのチェックシートはほとんど「はい」の私の現在までの振り返りと、考えると吐き気がする母親の考察を通じて心の整理ができればと思って始めたブログ

陽気だけど、人と合わせられない子

陽気な子

母や祖母の話によると、私は人見知りせずに誰にでも話しかけて、

目立ちたがり屋でサービス精神も旺盛なため

よく人前でよく歌ったり踊ったりする陽気な子どもだったようです。

 

歌は「壊れちゃったクラリネット」のような早口で難しい言葉をいうようなのが特に好きだったようです。

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また人見知りしない、物怖じしない性格が災いして

すぐに迷子になって、迷子センターの人に堂々と自分の名前や住所を発表してはニコニコと両親の迎えを待っていたという「迷子プロ」だったので両親も「迷子」にあまり驚かなくなり「またか」という感じだったそうです。

 

しかしある時本当に誘拐されそうになり、警察にも届け出てちょっとした騒ぎになたこともあるそうな。。覚えてはいませんけど。

 

 

 

 集団行動が苦手

母の話によると幼稚園からはよく電話がかかってきたりしたそうです。

「Mちゃんがおゆうぎの練習をしません」とか「みんなが体操をしているのに、Mちゃんが私はゴミ箱を洗ってるからみんなは体操しててと言い出して困っています」とか、そんな内容です。

(母の話によると、お遊戯の練習はしなかったけど、本番ではどうやらうまくできていたようです。)

 

まあ、とにかく、

人と合わせられない、「集団行動苦手」、「我が道を行く」といった

いかにもLD、ADHDという風な子どもでした。

 

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 繰り返す不注意

不注意が多く、怪我もよくありました。

階段から転げ落ちることは日常茶飯事で、古い木造の社宅の階段はとても急で、上から一気に下に転げ落ちると、

下はちょうどトイレで、中に入っていた父は「ごろごろごろ・・ドーン!!」というのにびっくりしたというエピソードを度々聞かせてくれました。

 

ちなみに「階段転げ事故」はかなり多かったにもかかわらず、

骨を折ったり大怪我になったことはなかったのが不思議といえば不思議です。

 

割と大きくなるまで、「階段転げ事故」は私に付きまとい、

女子高生時代に駅の階段で「階段転げ」をやった時に手をひねったおかげで今でも時々手首が痛みます。

 

 

箸たてをひっくりかえすだとか、味噌汁をひっくりかえすだとか、

そういう失敗もあまりに多くて、いつも母に叱られていました。

 

悪いことに、私の母は潔癖性で、いつも掃除(特に拭き掃除)をしている感じだったので失敗があるたびに本当にきつく叱られて、怖かったです。

滑り落ちるお椀がスローモーションに見え、「怒られる!!!」という恐怖が体を走る。。。汁物をこぼすと、「怒鳴り声」だけで済むことは少なく、「平手打ち」が飛んできました。

 

そんなことがあってきつく叱られるたびに反省するのに、

こういう類の不注意もかなり大きくなるまで治らず、

もちろん母の潔癖性も治らないので、

バトルは大人になるまでの間、本当に多くて未だにトラウマレベルです。。。

 

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はじめに 〜問題児の”問題”は先生から見た”問題”〜

問題児」だった幼少期

 

自分ではそのつもりは無かったのですが、

子どもの頃の私は、いわゆる「問題児」だったそうです。

 

その頃はADHDなんて言葉は全く浸透していませんし、とにかくよく叱られました。

 

しかしポジティブシンキング?というか忘れやすい性格で、

懲りずにまた問題を起こしてはまた叱られていました。

というかそもそも何が問題なのかをよく分かっていなかった気がします。

 

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幼稚園時代から母は何度も園に呼び出されたり、電話がかかってきたり。

小学校時代も、全学級の先生が名前を知っていたほど。

 

その問題児っぷりは後に書くとして、

中学時代にはその問題児ぶりは多少は収まるものの、

やっぱりちょこちょこと問題はありました。

 

高校ではかなり社会に適応してきたのか?

それほど「問題」となることはありませんでした。

 

 

 

 

問題児」の”問題”は先生から見た”問題” 

 

しかし今思えば「問題児」の「問題」というのは「先生から見た問題」なんです。

 

「微妙ないじめ」「友達ができない」「自信が持てない」「死にたい」

などという「内面的、そして友人関係の問題」は中学、高校と、加速している気がしました。

 

 

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ということで中学〜高校時代は私の内面が完全に暗黒期で、

とにかく日に日に生きている意味がわからなくなり、

死にたいと思わない日は無く、

飛び降り自殺を図れそうな具体的なマンションも検討するほどでした。

 

 

 

内面的な問題」は母娘関係が引き起こしていた

 

大学時代に恋人ができたこと、

アルバイトを始めたことで内面的な問題は少しずつ好転し始めます。

 

大学院へ進学後に「一人暮らし」を始めてからは

人生の絶頂期とも言えるほど、楽しい毎日でした。

 

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ITとロジカルシンキング」にであい、

それによってADHD的な欠点を随分カバーできるようになってきました。

(とはいえまだまだADHD的な問題にはぶつかるのですが)

 

仕事でも色々ありましたが、かなりラッキーな職場環境だったりして、

とにかく人生は充実の方向へ向かい、

「君には君にしかできない良いところがあるんだから、欠点を直そうとする必要な無い。そんな欠点は僕ができることなんだから僕がすればいいだけのことだ。」

 

と言ってくれた稀有な男性(現在の夫)とめぐり合い

結婚、一児の母となりました。

 

妊娠中は自分が子どもに虐待をするのではないかと恐れていましたが、

そんなこともなく、むしろ子育て上手だねと、よく言われるようになりました。

 

 

 

今思うと、外側の問題はADHD的性格が引き起こしていましたが、

内面的な問題は母娘関係が引き起こしていたなあと自分的に結論付けています。

(今風に言えば「毒親」となるんでしょうか。)

 

 

このブログでは自分の今までを整理し、

同じ困難に立ち向かっている人の何かの役に立つため、

そして

私の赤裸々な失敗の数々を面白く見ていただければ

と思って書くことにしました。

 

どうぞ宜しくお願い致します。