ADHDな私と毒親をひたすら考察する

ADHDのチェックシートはほとんど「はい」の私の現在までの振り返りと、考えると吐き気がする母親の考察を通じて心の整理ができればと思って始めたブログ

ギリギリ入学して余裕で卒業の不思議

今回の話はADHDと全然関係無いんですが、

私が人生を通じて不思議だなあと感じていることです。

 

ギリギリ入学して余裕で卒業!?

中学時代の定期試験ではいつも平均点80点を目標にしていました。

なんせ毎回数学が30点、よくて40点代なので、平均点80点はなかなか高い目標だったのです。中学を卒業するまで、10番より前になることは結局なく10~20番あたりをうろうろしていたと思います。

そう悪く無い成績のようにも思えますが、

「勉強ができる」とか「よくわかった」という自信というのを持てたことは

一度もなく、

ただ、テストに”選択肢”があるから、なんとなく回答がわかる程度で、本当に理解しているとはとても言えない状況でした。

強いて言えば理科の「生物」だけは大好きだったので、それだけは自信があったかな。

 

高校

以前のブログでも書いた通りギリギリ入学できた高校。 

adhdnanokamo.hatenablog.com

 

入学時に周りの子に聞くと、中学時代偏差値が60ぐらいの子が多かったのに私は57とかだったと思います。

定期試験の成績もずっと悪くて、平均80どころか、平均60点が目標で、赤点(40点)を取らないように気をつけなくてはならないレベルでした。

 

しかし、大学進学の頃になると、入学当時偏差値60だと言ってた子が短大へ行き、

私がいつも尊敬していた聡明な子が大学へは進学しないと言い、

またまた中学時代と同じくスクールカースト上位の「イケてる」子たちが専門学校などに進学しました。

もちろん、賢い子は国立大や有名私立へ進学していきました。

別に学歴が全てだなんて全然思わないし、どういう進路でもいいのですが、

 

ギリギリ入った高校で勉強に対して何か努力をしたということが一つもなかった私、マークシートだからなんとかやっていけた私が、

卒業時には何故だか真ん中よりは上にいてたのが不思議だなあと感じました。

正直私が彼ら彼女らよりも成績がいい感じが全くしなかったからです。

 

 

大学でも

この現象は大学でも同じで、ギリギリ奇跡的に合格した大学だったし、

(ここ以外たくさん受けたけど全部落ち、ここは3回も試験が受けられ、理系なのに数学じゃなくて国語で受験できた)

 

大学1年の頃はみんなの間で回し読みされている「過去問」というキラーコンテンツの存在すらしらず、もちろん勉強も真面目にしなかったので、単位落としまくりで、進級すら危ぶまれる状態だったのに、

数学が苦手なのに理系に進学したおかげで実験に使う溶液の調合に使うモル計算もできず、先輩から愛想を尽かされていたのに、

 

気がつけば何故だか多くの仲間を差し置いて

憧れていた国立の大学院に進学しました。

(大学院への進学は学力とかあんまり関係ないけど)

 

大学院でも

この大学院なんて、国立だけど何故かペーパーテストがなくて(!)

「英語の足切り試験」(英語の一文が書いてあって日本語訳する。わからない単語は試験官に聞ける!)

と「面接」だけなのに、、、落ちて(汗)

でも何故か3回も試験を受けることができて、3回目にギリギリ合格。

(前の2回はどうやら足切りの英語に引っかかっていたみたい。。)

 

またもやギリギリ入学です。

しかしその大学院で新設される博士コースというのに入る試験になぜだか合格し、博士コースを狙っていた友人たちの何人かは落ちているという不思議な現象が。。。何故??

 

おかげで私は博士コースへ進んだものの、ほんとに賢い優秀な人たちばかりで、、、恐縮することばかりでした。。。

2流私立大出身の私と、国立大や1流私立大出身の人はやっぱり全然違うとまざまざと感じました。(私と同じ2流私立大出身の子も私よりはずっと優秀でした。)

 

この話どう思いますか?

自慢話と受け取られると困るのですが、

私の頭は全然ついてきてないのに、なんだか偶然が重なってやたらと進学してきたような気がするのです。

大人になった今でも勉強に対する苦手意識は強く、しかも運良く大学院まで進学しちゃったせいで周りには優秀な人が多く、(自慢という訳ではないのですが夫も賢い!)

いつも劣等感を感じています。

 

でも、環境というのは本当に大事で、優秀な人たちに囲まれることで、

言葉遣いも考え方もどんどん変わってきたと思います。

正直分不相応な学歴となってしまいましたが、こんな環境に入れたことに本当に感謝しています。

 

なんだか自分でもすごく不思議で、

人生を無理やり何かに導かれているような、そんな気がするのです。

その後も全く予定調和でない、奇跡的な人生が続きます。